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それはあの襲撃から数えて5日目、襲撃当日も勘定に入れて、事態が発生してからと数えれば6日目の朝のこと。昨日のうちに泥門経由で聖地・アケメネイから帰還した、セナ王子と導師様がた御一行は、さっそくにも、この王城キングダムの主城に巣食う…もとえ、偉大なる守護として宿りし“大地の精霊”ドワーフを内宮の中庭に呼び出して。聖域の水晶の谷にて聖霊さんから授かりし“アクア・クリスタル”を手渡し、それを特別な製法にて鋳込むことで、闇の存在との戦いに目覚ましい威力を発揮するという“聖剣”を錬成してもらうこととなったのだが。
『あのあの、葉柱さん。ボクに剣の使い方を教えてもらえませんか?』
自分たちの身の上へ、一体何が起こったのか。何者らが襲い来たのか、そしてそれはどういう企みの一環なのか。あまりに突発的な急襲だったせいで、背景も本体もない、何もかも全てが五里霧中という状態だったこちらの陣営にも、様々な場所にて拾い上げたピースでブランクを埋めることにより、やっとのことで事態コトの筋道が見えて来て。
――― 自分たちへと襲いかかりしは、
聖魔戦争終結後、
それまでは重用された戦闘特性が役に立たなくなった、
いや、危険視されるようになったがために、
陽白の一族に滅ぼされた存在“炎獄の民”の末裔らしい。
――― グロックスとは、
彼らに定められし“約束の時間”を刻むものであると同時、
召喚師だった彼らの元へ、
闇の存在を降臨させるための道標となるアイテムでもあるのかも。
見えたことで覚悟が定まりやすくなった事実もあれば、
――― ただ召喚するだけに留まらず、
それはそれは力のある負界の存在を呼び招き、
寄り代という“殻器”へ定着させる仕儀を構えているのかも…。
――― 連中は、光の公主を襲った大胆さで注意を逸らし、
真の目的だった“殻器”の方を危なげなく奪取したかった?
こちらの切っ先が大きに惑うかもしれない難儀も明らかになったものの、
『あのグロックスとやらがこっちの手の中にある以上、
連中は再び襲い来るに違いない。』
グロックスに関するあれやこれやは、厳密に言えば現段階では推測に過ぎないものばかりであるけれど。ただ、これだけは十中八、九 正解と見ていいのが、
『向こうさんにしても、進だけを押さえりゃあそれでいいって仕儀じゃあないらしい。』
王宮の内宮という深部にて、国王陛下に並ぶほど最も守りの固い存在へという、それはそれは大胆な仕儀だったからこそ却って成功した強襲が、実は単なる陽動作戦であり。そんな急襲を仕掛けたその日のうちに、そうまでして攫った進を同行させての再襲撃に及んだことが、当初は一番の疑問だったが。今は…進だけでは駒が足りぬということを物語っているとするなら、何の不具合もなく総てが繋がるから。そして。次に連中が狙うは、グロックス奪還か、それとも今度こそのセナの誘拐か、
『どっちにしたってどっちも果たせてないのだからな。』
もしかして…追うなという逆の露払いをしたいのかも? 再襲撃があるのではと用心して、現に今、彼らがこうやっているように、此処へずっと張り付いててくれれば自分らには重畳、その間に出来るだけ遠くへ逃げようなんていう、これもまた作戦なのかも? …などという考察もあるにはあったが、
『だったらこっちにもある意味で重畳だ。』
『…妖一。』
これはわざわざとセナへは告げていないことながら。何となれば進は切り捨てても構わないと断じた黒の魔導師殿による試算図にとっては、進が攫われただけだという結果は大したマイナス・ファクターではなく。………無論、そんなことは望んでおらず、そうではないだろうと読んでいればこそのこの警戒と待機なのだし。いよいよの正念場、それだけは紛うことなき事実で現況。咒を巧みに操る相手だということから、直接の対峙に関する作戦はこちらの導師たちに主導を任せるとの、皇太后様からの正式な通達も賜り、皆して警戒の構えに入らんとしていたそんな朝。気力体力の充実は勿論のこと、気構えも覚悟もすべて万端整えて、さあいつでもいらっしゃいと。
「…セナ、くん?」
これも順番制で慌ただしく摂った朝食の後、最も聖なる力を集めし、城の中核に程近い、内宮中庭の温室にて。今は沈黙を続けるグロックスを中程に据え、それぞれの角度から見守りながら。その真下にて作業中のドワーフさんの再登場を待つ…という段取りでいた魔導師さんたちへ。こちらにも護衛は必要と、純白の毛並みの仔猫に変化へんげ中のカメちゃんをその腕に抱えた…どっちが護衛されているやらな趣きの、光の公主ことセナ王子がそぉっとその足をお運びになり。そして、
『あのあの、葉柱さん。ボクに剣の使い方を教えてもらえませんか?』
そんな唐突なお声を掛けてものだから。皆して“え?”と意外そうな反応を見せたのは言うまでもなく。そんな中、
「…よもや。いよいよ主旨替えをして、自分の前へ立ち塞がる者らを皆、ばっさばっさと薙ぎ払いたくなったのか?」
心優しくも繊細な、小さな公主様におかれては。ここまではずっと、敵である相手へまで思い入れを延ばしかねないほどの、よく言って和平への道の模索、悪く言えば及び腰な構えをばかり示していたものが。いよいよの正念場だという自覚から、旅先で様々に拾った“覚悟”をとうとう決めての主旨替えだろかと。直接の名指しがあった葉柱ではなく、金髪痩躯の黒づくめの魔導師様の方が、少々居丈高な態度にて問いただして来た。この人はいつだって、自信満々な態度で挑発的な物言いをなさるのではありますが、それでも今回、今現在は場合が場合だ。ただでさえ慣れのない身なのだから、すぐ眸の先にて殺気のこもった剣先をかざされれば恐ろしいと感じるは仕方のないこと。ならば、敵への“狼藉は許さないぞ”というお気持ちだけをしっかと胸に抱き、実戦の方は自分らに任せてくれていい。せめて話を聞けという場面を作るまでの場均し、敵の戦意を削り切るまでは、その御身は我らに守られていてくれていいものを。敢えて危険な場へ身を晒したいというからには、自らの手にも剣をと言うのなら。
「戦力として数えるか否かはおいといて。とりあえず…相手へ剣を振るうまでの戦意を持つと、我らも解釈してもいいのか?」
我々だとて殺戮をしたい訳ではない。だが、向こうが捨て身であるのなら。例えば 誰かの命を盾にするような、なりふり構わぬ策まで講じたならば。その激流を制するには、こちらもまた完膚なきまで叩き潰すと身構えるのを、已やむなきこととせねばならない。
「くどいようだが、覚悟があるのかと聞いている。」
これまでにもさんざん、その小さな肩を抱き、言いつのって来た言葉。ただただ逼迫したままに、感情に引き摺られて起こした行動は悲劇しか呼ばない。たとえその場は“よかった”で終わっても、いつかどこかでハッと胸を衝かれ、その時には思いも拠らなかった罪を…誰をどれほど傷つけたのかを知る羽目になる。この心優しき王子様には、尚のこと、そんな重荷を人知れず背負ってほしくはないからこそ、
“出来ることなら、守られててほしかった、の?”
こんな時になってまで、そんなことを確かめる蛭魔であることへ、桜庭がふと愕然とする。戦力として頼りアテにしていないと言いながら、でも、相手へ直接敵意を向けることをそれでもいいのかと訊いているのは。もしかせずとも、相手の負う傷へではなく、セナがその心をずたずたにされないかと案じてのこと。自分はあくまでも補佐であり、彼自身の意志でそれを束ねねばならぬ、何となれば敵へと放たねばならぬ、途轍もない光をつかさどる身の公主であり。意志を尊重してやり、いつかは手を放さねばならぬ“教え子”という対象。でも、護ることへなら幾らでも耐えられるのにと、それをこそ諭したくもある愛しい子供でもあって。
“…複雑なんだねぇ。”
進と引き離されたことでそれはそれは傷ついていたセナへの、なのにここまでの素っ気ない素振りの数々。ひねくれ者な彼だけに決して判りやすくはなかったけれど、それでもそりゃあ可愛がってた王子様の悲哀に眸を瞑り、なんてまた冷徹に対処している彼だろうかと思っていたが、
“そういう気持ちへのカモフラージュにも貢献していたんだねぇ。”
意志も強くて気概も強靭。何につけ攻撃的で、しかも、その挑発的な強かさには、ぎっちりと厚みのある“蓄積”という裏付けつきというから、そりゃあもう手ごわい存在には違いないのではあれど。だからと言って、弱いものを馬鹿になんかしてはいない。一生懸命な人への敬意をちゃんと知っている。愚かかも知れない存在へでも、気心が知れれば問題はなく、だったら首根っこ引っ掴んで補佐してやらあと構えるような人なのだ。場合が場合なので“うんうん、いい子に育ってくれた”なんてな感慨にこそ耽っていられなかったものの、それでも擽ったそうなお顔になった桜庭の眼前にて、
「ボクは…。」
小さな公主様がそのお口を開く。
「進んで戦いたい訳ではありません。ただ、」
彼にもまた、相手の気分をどこかで気遣い伺っているような、大声の一つも浴びせられれば怯んでしまうような、及び腰なところは見られなくって。
「降りかかる火の粉を払うにせよ、何かを守るためにせよ、戦うのだという意志を意識していたくて。」
それこそ、直接的すぎるぞと笑われたって構わないということか。潤みに揺るがぬ真っ直ぐな眼差しが、こちらは相変わらずの威容を負った、金髪黒衣の魔導師さんへと真っ向から向けられており。
「だから。剣を手にし、逃げない覚悟をもっと固めたいのです。」
さぞかし重いだろう、危険だろう、鋼の武装。この正念場にあって、他人事のように見ているだけでいてはいけないのだと、いよいよの混迷の中、そんな決意を固めた公主様であるらしく。そんな彼からの一大決意をお聞きして、
「…下手くそが混ざると迷惑なんだがな。」
特に感に入って見せるでなし、むしろ小馬鹿にするよな言いようを返した蛭魔だったのだけれども。ただ…強いて言うなら、詰まらない説教でも聞いていたかのようだった顔つきの、肉薄な口許のその端が、見るからに不敵そうに吊り上がっていて。
「好きにするといい。」
端的ではあったが、投げるような突き放すような言い方ではなかった。制したいが諦めたというよりも、よくぞ言ったというような気色の滲んだ声音であって、
「何も大将として責任を負えとまでは言わねぇ。俺らは俺らの判断で動くからな。ただ、誰ぞが…俺らでも相手でも、傷つくのを悲しまねぇでいられるなら、お前の限度で耐えられるんなら、それも良かろうさ。」
すいと伸ばされた手が、セナの柔らかなくせっ毛をぽふぽふと撫で、そのついでに、懐ろに縫いぐるみのように抱かれたままな仔猫のカメちゃんの頭をも撫でたから、
「素直じゃねぇのな。」
そんな蛭魔の浮かれようへと。凛と言い切ったのが嬉しいなら嬉しいと、いっそ言葉でも褒めてやりゃあいいのによ。黒髪の導師様が肩をすくめてこっそり呆れたのへは、
「そこが可愛いんだよぅvv」
傍らにいてやはり成り行きを見守っていた亜麻色の髪の白魔導師様が、こっそりながら…こちらさんこそそりゃあ嬉しそうに応じてくださり。
「…可愛い?」
よっしゃそれじゃあそういうことでと、口許へ鋭い牙を剥き出し、ケケケと高笑いのアレを捕まえてそうと言える桜庭さんて一体…と。せっかく綺麗な姿してやんのに、やっぱりこいつの審美眼はよく判らんと、葉柱さんが小首を傾げたのははっきり言って余談でしたが。(笑)
「まあ。どんな剣が出来上がるのかはまだ判らんが、大太刀であれ華奢な守り刀であれ、掲げるだけでも効果はあろうからの。」
「あ、ひど〜いっ。」
頼りアテにしないにも限度がありますと。ぷうと膨れて見せたほど、結構な心意気での決意を固めておいでだった公主様。本当に心強いことよと、こんな場合ながらも皆して笑顔を見せたものの。
「カッコつけて哲学とか理念とかまで論じ合わんで良かったな。」
「そだねぇ。」
そういう事を言い出す以前の問題だったみたいだねと、やっぱりこっそり桜庭が苦笑し、まったくもうと蛭魔が呆れたのも無理はなく。
「はやや〜〜〜。」
「ただの木刀だってのに、何でそんな波打った振りになるかな。」
ほれと軽く、わざわざ手元から遠い辺りの“切っ先”へ。向かい合ってこそいるが、こちらは素手空手の葉柱が、コツンとその拳を刀身の部分へと当てただけでも、
「にゃ〜〜〜。」
情けなくもよたつく、とんだ初心者さんの公主様だったものだから。成程、これは確かに…刺すの斬るの殺すのとかいう以前の問題には違いなかったのかも。(う〜ん)
「そういや、サジより重いものを持ってるところを見たことがねぇわな。」
いやそれは言いすぎだけれどと。桜庭がますますの苦笑をしたのを振り切るように、
「おらおら、しっかりせんか。」
咒のお師匠様が、ついの檄を飛ばしている。
「どんなか細い花嫁さんでも、心意気だけで何キロもある衣装を着こなすって言うぞ? お前もそれを見習って、せいぜい頑張れよ〜。」
「にゃ〜〜〜;;;」
出典は『怪盗アマリ〇ス』ですね? 蛭魔さん。(苦笑) これでも最初は、軽そうなものながら剣を持たされたセナだったのだが、持たせただけで両手がぐんと足元へ下がり、そのまま取り落としそうになったことからあっさりと。今握っている習練用の木刀をと勧められた。ただの練習、鞘から抜き放つというだけのことで、大怪我を負いそうなほどの思いっ切り“初心者”だったからであり、
“カメちゃんだって振ってたのになぁ。”
そうでしたね。セナ様をサーベルタイガーから守ろうとしてカメちゃんが変身した、それは勇ましくも武装した“セナくん”は、小ぶりのショートソードをそれでも立派に片手で振るっており、恐ろしい牙が襲い来たのを弾き返してもいたのにね。そうまで腕力のない身だったとはと、誰よりも本人が驚いたくらい。
“まあ…それに関しちゃあ、進だけを責められまいが。”
一番小さくて、しかも一番年下で。周囲にいた導師たちがまた、頼もしい顔触れ揃いだったものだから、色んな方向で頼もしさの格差が大きかったそのあまり。何かというと手を出したり延べたりと、誰もがフォローしまくっていたのも事実。それでのこの結果というのなら、あの騎士様のみならず、全員の責任でもあろうこと。
「とりあえず、掲げられるようにはなりな。」
鍛練の真っ最中である聖剣はきっと特殊な剣であろうから、装備するだけでも咒力に影響が出ようし、大概の剣はどれにしたって かざせば楯にはなるものだし。最低、何とかなりはしようと、思いはしたがそれでも、
「言っとくが、剣術ってのは 結句、命のやり取りをするための武術だからな。」
葉柱は敢えてそうとも付け足し、やあとこちらへ振られた木刀の刀身を、それは軽々、がっしと大きな手のひらで捕まえる。道を切り開くもの、前進するためのものなんてな考えようもあるけれど。嗜むことだけを指すのなら、精神修養の一種でもあろうけど。今セナが関わろうとしているのは、そういう手合いのものじゃあないから。
「叩き伏せるにせよ、斬りつけるにせよ。そして、当たろうが避けようが。警戒させ萎縮させ、相手の心身を傷つけるものだし、こちらにだって反動は返る。」
意に反した弾みや動作でもって、相手を深く損なったなら? 刃を向けるという行為そのものへ相手が傷つき、そんな自分にこちらも傷ついたら?
「だからこそ、甘く考えてもらっちゃあ困る。」
腕力や技術のみならず、剣と何年付き合い寄り添ったかも大きい要素で、
「愛刀一本に限った話じゃねぇ。剣というものを知り尽くして初めて、自分の腕の延長として働いてもらえる。」
大仰な心得の話じゃなくてだなと、自分も木刀を空いてた左手に構えた葉柱が、それを目にも止まらぬ素早さにてザクザクと振って見せれば、
「あ…。」
傍らから枝を延べていた、シュロだろうか南国の植物の扇のようだった葉が、音もなくはらはらと先だけをすっぱりと刻まれて舞い落ちている。叩くどころか、涼風にそよいだような揺れの1つも見せないままに、だ。唖然としたセナが、
「木刀なのに?」
訊いたのへ、
「木刀なのに。」
是と頷いてやってから、
「高見や進だったなら、葉先どころか枝の1つも切り落としていよう。」
あえてそうと付け足して。
「だからまあ、性急に振り回せるようにならなくてもいい。まずはそれなりの重さのある“物”として、持ち上げて扱えるようになりな。」
「はい…。/////////」
この王子様、身の程をわきまえるのは誰よりも得意らしい。過小評価し過ぎる傾向もなくはないけれど、これに限ってはそうでもなさそうであり。滸がましいことを言い出したりして申し訳ありませんと、小さな肩をすくめたのへと、
「心意気は買うがな。」
仄かに苦笑を浮かべながらも。男らしくも野趣に富んだ、それはそれは頼もしい剛の眼差しが、真っ向からの真っ直ぐに、小さなセナを見やってくれる。
「とっとと逃げ出してくれねぇ強情さでは、俺ら以上かもだしな。」
「…葉柱さん。」
触れた機会自体からして少ないだろう、ギラギラと危険な剣の切っ先を向けられて。怯むことはあっても逃げたりはしない王子だと知っている。庇われる身の非力さ、自分の非力のせいで傷つく人たちの痛みを嘆き、自らの心に傷を負ってしまう心優しき彼は、だが。その都度その都度、少しずつ強さをも得ていったに違いなく。
『力がない今は我慢しな。その我慢が、胸が潰れそうなほどの辛い我慢こそが、今のお前への試練だと思え。』
炎獄の民からの奇襲を受けてたアケメネイのあの惨状を目にし、苦しげに顔を歪めたセナへ。今は非力を嘆いて傷つきなと、そこから目を逸らすなと、蛭魔さんも言っていた。ただの弱虫なんかじゃない、そんな自分への怒りで身が震えている、そんなセナだとちゃんと自分は知ってるからと。だから“今は我慢しな”と言っていたお師様であり、逃げない心意気は買うと、不敵な笑みを向けて下さった葉柱さんであり。
――― そんな君だから支えよう、と。
認めて下さる、見限らないでいて下さるのが、セナにとっても心強い励ましとなってくれている。
「もいっちょ、いくか?」
「はいっ!」
剣の柄は雑巾を絞るようにしてしっかり握り込め。でないと、叩かれただけであっさりぐらつく。それと、絞り込む動作で脇もしまるから、そのまま肘を体の側線へ添わせて…と。立ち会い以前の基礎からという微笑ましいレクチャーに、決して皆の注意が逸れていた訳ではなかったが。それへと誰よりも早くに気づいたのは、何とも意外な存在で。
「…っ。」
不意に。花壇として芝の敷かれてあった段差の上で、ガラス天井から降りそそぐ陽を受けて。丸くなっていた真っ白な仔猫が、その小さな耳をひくりと震わせた。それから、
「カメちゃん?」
何かに弾かれたような勢いで、それは素早くその身を起こし、輪郭が消えたほどもの加速で王子へと駆け寄って来た彼が、再びはっきりと現したその姿が。
……… え?
小さなセナ王子が“いい子いい子vv”と懐ろへ抱えられたほどの仔猫だったはずが、今は。そんなセナよりも、もしかすると嵩はあるかもしれない大型の野獣。短い毛並みを金琥珀に光らせ、屈強な肉置きの撓やかな肢体を低く構えて、
「〜〜〜〜〜。」
ぐるごるぐるる…と、地面に響いて地下深くからの共鳴を招きたいかのような、喉奥からの低い唸りも物凄く。鋭い牙とともに、揮発性の高そうな敵意と警戒を何者かへ剥き出しにした一頭の野獣。つい先日、あの“水晶の谷”にて遭遇した、それは恐ろしい存在感の塊だった、大きなサーベルタイガーに他ならず。
「カメちゃん?」
どうしたのかと駆け寄りかけたセナへ、彼の方からは後ずさりという格好で近寄って来、あと少しあった間合いを詰める。まるで“自分の陰にいて下さい”と言わんばかりの位置取りをするその様子に、
――― これは。
無論のこと、葉柱も、そして蛭魔も桜庭も。息を飲むと周囲へと警戒の視線を巡らせる。温室の中は朝からのいい日和のせいで温かく、そのせいで皆してさしたる防寒着も羽織らぬままの動きやすい軽装。導師様たちはそれぞれにいつもの道士服であったし、セナ王子も、筒袖筒裾のちょっぴりゆったりとした型のサテン地の上下に、目の摘んだブラウスとニットのインナーベストといういで立ち。よって、何があっても躱すなり身構えるなりの動作所作に滞りはなかったはずだが、
「…っ!!」
視線は向けていたものの、どちらかと言えばドワーフさんの仕事が早く終わらぬものかと、そちらの方へと気持ちが大きに向いてたことは否めない。その上へと据えてあったもの。赤子ほどもある骨董品の砂時計へは、不吉なものではあっても今はアイテムに過ぎぬと、そんな先入観があったから…ついつい警戒心も薄かったのかも。
――― それが今、いつの間にか鳴動を始めている。
何とも重々しき赤い光を、中の砂が発しており。逞しい四肢を地に食い込ませた猛虎へとその姿を転じた聖鳥が、敵意を丸出しにしてそのグロックスを睨みつけており、そして、
――― がっしゃ・どがあぁっっ、と。
こうした予兆に入っていなければ、唐突さに驚いて身が竦んだほどもの、荒々しき大音響。ガラスも土壁も諸共に、美麗繊細な見かけに似合わぬ頑健な作りの温室の壁を、外から派手に砕いたらしき、大きく威嚇的な物音が轟いて。
「来やがったかっ?!」
ぴりぴりと尖るほどに張り詰めてまではいなかったが、それでも。いつ急襲がかかってもおかしくはないという覚悟の下、そこから戦闘へとなだれ込む予測もまた十分にあっての待機状態だった彼ら。背後に回した手で、銀の守り刀をベルトから引き抜いた蛭魔が、片方の足を引き、腰を落として身構え。桜庭もまた、宙空からタクトほどの長さの短刀を掴み出し、体の側線へぶんっと振り下ろして見せる。最初から仰々しい武装はせず、相手の出方に合わせて武器レベルを設定しようという構えなのは、場合によっては武器より威力のある咒をも扱う方々だからで。サーベルタイガーに変化したカメちゃんが守りしセナ王子には、
《 ラ・シェルド。》
すぐ傍らから指先にての一応の防御封咒をかけて差し上げた、葉柱も護衛に回っての万全の態勢。最優先はセナの身の安全で、それから…相手にとっての標的だろう、グロックスの死守。
“ややこしいものを負界から召喚されては堪らんからな。”
しかも、あの騎士殿が“寄り代”だなんてとんでもない。奪還にと襲い来た者らを返り討ちにして捕らえて、それから。進が虜囚となっている敵の塒アジトまで、きりきり案内させようぞと、そういう段取りでいた彼らだったから。一体何物が躍り込んで来たのかと、グロックスの方へも油断なく注意を預けながら、間違いない侵入者の気配を嗅ぎ取った方向へと、攻撃態勢に入って凝視を向けていた面々が、
――― え………?
その視野に入った存在へ。その場にいた誰もが…そのずば抜けた反射を、判断力と共に凍らせてしまっている。フードのついた、足元まである漆黒のマントに、前合わせの道士服は頑丈そうな帯で腰をくくられた上着が、膝下までと裾長で。どこか風変わりな印象があるのは、袖がその付け根で一旦剥ぎ取られてから、あらためて細い革紐で継いでいるような綴じ方をされてあったから。異民族のものだろう、格闘に向いていそうな装束であり、その胸元には、鎧が形骸化したものだろうか、丈の短い、薄い鋼のプレートが下がっていて。彼らには十分過ぎるほど見覚えのあるいで立ちをした男が一人、木々の間の、通路のように空いてた空隙に、ただ、立っている。詰襟の上、無表情な顔がこちらを向いてこそいるけれど、一体その視線にて何を見やっている彼なのやら。というのが、
“………どうしたことだ。”
力みに張ってこちらを見やる、その鋭い双眸は…どういう訳だか、紅蓮の赤に染まっていたから。だってそんなの、あり得ないこと。マントに覆われた上からであっても、その下へ包み込まれし身の威容をようよう示しているほどに。肩と身体の厚みを、充実した存在感を十二分に誇示している彼こそは、
「……………進、さん?」
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*さあさあ、お話はいよいよの急展開か。
書く人のテンション次第という、
とんでもないクライマックスとなりそうですが、(おいこら)
どうか良しなに〜〜〜っ。
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